006 絵と私をつなぐ架け橋

美術館で疲れてしまう方のための、立体観察法について

1、疲れる理由①絵は情報が多い

皆さんは美術館やギャラリーで、どのように絵をご覧になりますか?

私は以前、順路に従い1点1点じっくり見て歩いていました。
しかしグッタリ疲れてしまい、椅子で休憩しなければならない有様…。

「私はどうして、美術館に来るとこれほど疲れてしまうのだろう?」
と考え続けました。

空間と作品がミスマッチなんじゃないか?
作品を掛け過ぎているんじゃないか?
作品に呪いがかかっているんじゃないか?…と変な事まで考えました。

絵はイメージや思考、感情、時間、空間が 言語化される前の「原液」のようなものだと思います。
情報が”ギュッ”と圧縮されている。
それを展開するボキャブラリーが私に足りないがゆえ、疲れてしまうのかも知れません。

2、疲れる理由②直感で選んだはいいが、理由が分からない

思い切って絵の見方を変えることにしました。
ザックリ流し見するようにしたのです。
そして直感で気になった作品だけ立ち止まり、じっくり見るようにしました。

「流す」「捨てる」「気になった絵だけじっくり見る」

そうする事で全体が立体的に見えるようになり、負担が随分減りました。
ところが、私は直感で気になった作品の前で立ち尽くす事になります。
立ち止まった理由が分からないからです。

3、疲れる理由③絵は止まって見える

実は私という人間は、絵よりも先にタイトルや説明文を読みたがる頭でっかち人間なのです。
絵に言葉が付いていないと解釈の仕方が分からなくて困ってしまう。
美術館で「分からない」「分からない」と呟きながら絵を見続けてきました。

立ち止まった作品の前で、右から見たり左から見たり、下から見たり…
いろいろな角度から見てもやっぱり「分からない」。

どうしたらこの絵を動かせるんだろう?

そんな事を考えながら絵を見ていました。

「絵は止まって見える」
それが私にとって、大きな苦痛でした。

4、絵と私をつなぐ架け橋

こんな頭でっかちな私ですが、人生で2度、止まっている絵が動いて見える経験をしました。
それにはヒントがあったのですが、皆さまは何だと思われますか?

人から話や説明を聞いた直後の事だったんです。

言葉が絵と私をつなぐ架け橋になってくれたのかも知れません。

ギャラリー沼の底 Océane

ギャラリー沼の底 Océane

ハラオチしながら世界をみる

1974年東京生まれ
ギャラリーアビアント アシスタント
家事代行piu-c(ピウシー)代表

祖父、伯父、父が舞台美術家であるが、自身は元バスケットボール選手。
物の見方と認識が専門。

選手引退後小学校教師を目指すが、情報量の多さと教育界の厳しい現実を知り断念。
情報を外側に求めると「知らない領域」が無限に広がってしまう事に気がつき、既に知っている情報をより深化させる道を模索するようになる。
長らくメンタルの引きこもり状態が続いたが、日本に住む2人の外国人との出会いと、コロナ禍による交流の断絶が契機となり、抽象的かつ感覚的なイメージを少しづつ言語化し発信するようになる。
情報分断の原因でありイメージ界最大の不一致でもある「有るイメージ」と「無いイメージ」を繋ぎ、イメージ世界のバリアフリーを目指している。

関連キーワード

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP
MENU
お問合せ

(月 - 金 9:00 - 18:00)カスタマーサポート