008 言葉という抽象画

すべての感情と出会いなさい。

1、日本語から見える世界、英語から見える世界

前回007話では日本語を取り上げたので、今回は英語を取り上げます。
川端康成の『雪国』の有名な冒頭部分を題材に、日本語と英語、
それぞれの「見え方の違い」を確認していきましょう。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

日本語のこの文章を読んで、情景を思い浮かべて見てください。

絵に描くとすれば、どのような構図になるでしょうか?
あなたは汽車の内側にいますか?それとも外側にいますか?
次にあなたは汽車のどの辺りにいますか?
先頭ですか?後方ですか?それとも中ほどですか?

The train came out of the long tunnel into the snow country.

次にこちらの英語の文章ではどうでしょう?
英語を母語にした方たちにこちらの情景を絵にしてもらうと、ある特徴が出るそうです。
どのような特徴だと思いますか?

視点が汽車の外側、汽車とトンネルを俯瞰した位置に移るのだそうです。

2、言語相対論

英語と日本語、言葉が変わると見え方が変わってしまう事を「言語相対論」と言います。

ある言語を母語とする人の認識・思考は、
その言語によって影響される

という仮説です。
つまり物を見る時、または物事を考える時に、日本語を母語にする人は日本語の影響を受け、
英語を母語にする人は英語の影響を受ける、という仮説です。
前回は与謝蕪村の俳句から、たった一文字の違いによって見え方が180°変わってしまう例を見ましたが、今回は更に大きな視点の変化になります。

「自分が見ている世界は、他の人も同じように見ている」
そう思っている方がもしいたら、それは大きな間違いです。
あなたがこれまで見てきた世界、今あなたが見ている世界は、
世界中の誰一人とも共有した事はありません。
それは逆を返せば、「絵の見方も世界の解釈も、あなたの自由だ」という事です。

考えが飛躍し過ぎなのでは?と思われるかも知れませんが、
私はその事実をお伝えする為に、これからもラジオやブログで発信し続けます。

3、言葉、イメージ、思考、感情

言葉とイメージ、思考、感情は連動しています。
言葉を奪われると、そこに付随するイメージ、思考、感情も奪われることになります。
湯婆婆が異界で言葉を支配する理由はこれです。

私の名前、私の言葉、私のイメージ、私の思考、私の感情。
それらが奪われてしまったら、あなたはもはやただのもぬけの殻、ただの機械人間です。
他の誰にも奪われぬよう、あなたは闘わなければなりません。

言葉、イメージ、思考、感情。
そして感情の向こう側。

すべての感情と出会いなさい。
その先にはあなたがいる
『絵と詩と私』/ツリタニユリコ

ギャラリー沼の底 Océane

ギャラリー沼の底 Océane

ハラオチしながら世界をみる

1974年東京生まれ
ギャラリーアビアント アシスタント
家事代行piu-c(ピウシー)代表

祖父、伯父、父が舞台美術家であるが、自身は元バスケットボール選手。
物の見方と認識が専門。

選手引退後小学校教師を目指すが、情報量の多さと教育界の厳しい現実を知り断念。
情報を外側に求めると「知らない領域」が無限に広がってしまう事に気がつき、既に知っている情報をより深化させる道を模索するようになる。
長らくメンタルの引きこもり状態が続いたが、日本に住む2人の外国人との出会いと、コロナ禍による交流の断絶が契機となり、抽象的かつ感覚的なイメージを少しづつ言語化し発信するようになる。
情報分断の原因でありイメージ界最大の不一致でもある「有るイメージ」と「無いイメージ」を繋ぎ、イメージ世界のバリアフリーを目指している。

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