020 地獄の一丁目で定点観測をする

このお話しは2022年10月11日に収録されました。
韓国梨泰院でお亡くなりになられたお若い方々の魂とご遺族の深い悲しみに思いを寄せ、
心より哀悼の意を表します。

 

心って何だろう?

皆さんは「心」という単語から何を連想しますか?
同じ質問を街頭でインタビューしたら様々な答えが返ってくると思うのですが、
人によって答えがバラバラになる理由はその単語の抽象度が高いからです。

私が「心」という単語をイメージする時は、心理学という枠には留まりません。
目に見える物・見えない事、ゴミや石ころ空気にも心がある、と言います。
心が無いところは一つも、ひとかけらもありません。

それと同様に、「動き」がない所もひとつもありません。
三色ボールペンにも、パソコンにも、動きがあります。

つまり「心」と「動き」はイコール(=)だという事です。

「心」という単語を使うと色々なイメージが出てきてしまい、解釈も説明も難しくなってしまいますが、
「動き」にはパターンがあるのでイメージしやすくなります。

今日は「動き」を一緒に見ていきましょう。

動きにはパターンがある

動きの世界には階層があります。
それを「次元:Dimension」と言います。
2Dとか3Dとか言いますよね?

前回019話の中で、地図上で点の位置を確認する際に3次元→2次元→1次元…という風に、高い次元から低い次元に「降りて」いきましたが、今回それではちょっと分かりにくいので、低い次元から高い次元に向かって「登って」みたいと思います。

まず、一番低い0次元「点」は動くことができません。
ひとつ上の1次元「線」になると線上は動く事ができます。乗り物に例えるとレール上を走る列車です。
2次元「平面」は地上や海上を縦横無尽に移動することができるようになります。車とか船のイメージでしょうか。
3次元「立体」になると上下運動ができるようになります。飛行機・ヘリコプター・ドローンのイメージです。

<動きを乗り物に例えると>
0次元「点」動く事ができない
1次元「線」列車
2次元「面」車・船
3次元「立体」飛行機・ヘリコプター

これを人で例えると、生まれたばかりの0歳時は自力で移動できないけど、
1歳、2歳、3歳・・・と、成長するに従い移動範囲が広がっていきますよね。

1次元~3次元は乗り物や人の成長に例えられるのでイメージがしやすいですが、
0次元だけ乗り物に例えることができなかったのでサラッと流してしまいました。
次は0次元「点」の動きのイメージを掘り下げてみましょう。

無間地獄

以前、「間(ま、あいだ、かん)」の話をしたのを覚えていますか?
この単語から皆さんは何を連想しますか?
時間、空間、人間、スキマ、間が悪い、間抜け、、、出てくるのはこのようなワードでしょうか。

今日は久しぶりに魔法を使ってみようと思います。
時間・空間・人間・スキマという言葉から「間」を奪い取ります。
「空間から間が奪い取られ、スキマからスキマが奪い取られた世界」を思い浮かべてみてください。
どのようなイメージでしょうか?

スキマが1mmも無い世界です。

そこでは身動きできるスペースがありません。

指をピクリとも動かせないんです。

心臓も肺も動かすことができないので、呼吸ができません。
細胞も動かせない。

「動かせない」ので「変化」が起きません。
変化が無いのだから「時間」もありません。

人と人の間も無いので、自分と他人の境目がありません。
他人がいないので、話し相手もいません。

スキマが1mmも無く動けない世界の中で、意識だけが「ハッ」っと目覚めてしまいます。

その場所に1分、1時間、1週間、1年間居続けてみてください。
時間の感覚がないので、1秒でさえ永遠に感じるかもしれません。

まるで地獄ですよね。

その世界を「無間地獄」と言います。

一般的なイメージと少し違うのですが、ここではそのように解釈してください。
ギャラリー沼の底は、無間地獄の中にあります。
間の文化を持つ日本の深層心理には、この無間地獄が内包されています。
多くの人はここがどんな場所なのか、行かずとも既に知っているんですよね。
だから親切に地図を作ってもギャラリー沼の底に誰も来ようとしないんですよ。
ここに来たのはミツキさんとBixさんの、たったお二方だけですからね。

住めば都、地獄も住処

オセアンはこの地獄が楽しいイメージになるように、文字通り四苦八苦しているわけです。

一種の「地域興し」ですね。

だけど住めば都と言います。
住んでみて初めて分かる事ってありますでしょ?
ココには、一つだけプラスになる事があるんです。
それは何だと思いますか?

【定点観測に近いことができる】です。

動きの「う」が見えやすいポジションなのです。

それはつまり、「心の出発:出発の心」が見える、という事です。

そろそろ閉店の時間なので、このお話の続きは別の機会にしましょうか。
眠って目が覚めたら新しい世界が待ってますよ。

ギャラリー沼の底 Océane

ギャラリー沼の底 Océane

ハラオチしながら世界をみる

1974年東京生まれ
ギャラリーアビアント アシスタント
家事代行piu-c(ピウシー)代表

祖父、伯父、父が舞台美術家であるが、自身は元バスケットボール選手。
物の見方と認識が専門。

選手引退後小学校教師を目指すが、情報量の多さと教育界の厳しい現実を知り断念。
情報を外側に求めると「知らない領域」が無限に広がってしまう事に気がつき、既に知っている情報をより深化させる道を模索するようになる。
長らくメンタルの引きこもり状態が続いたが、日本に住む2人の外国人との出会いと、コロナ禍による交流の断絶が契機となり、抽象的かつ感覚的なイメージを少しずつ言語化し発信するようになる。
情報分断の原因でありイメージ界最大の不一致でもある「有るイメージ」と「無いイメージ」を繋ぎ、イメージ世界のバリアフリーを目指している。

関連キーワード

関連記事

RELATED POST

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP
MENU
お問合せ

(月 - 金 9:00 - 18:00)カスタマーサポート