025 はるとあき

やまと言葉

め みみ はな

ミ:オセアンさん、今日はぜひ聞いてもらいたい事があります。
以前言葉について話した事がありましたが、毎日使っている日本語に興味があります。
大和言葉って今私たちが喋っている日本語と違うようでいて、奥深いというか想像力が膨らむ世界だと思うんです。

オ:私もそう思います。
言葉を使う時に由来とか語源を調べるのですが、5感覚(目・耳・鼻・口・皮膚)の名前の由来を調べた事がありました。
なぜ目は「め」で、鼻は「はな」で、耳は「みみ」なんだろう?って。
調べてみると、ある物のパーツと一致するんですよ。
何だと思いますか?

ミ:え?何ですか?

オ:「め、みみ、はな」音だけを聞いて、ある物が思い浮かびませんか?

ミ:植物ですか?

オ:そうです!
目(め)は、♪めが出て膨らんで、花が咲いてジャンケンポンッ!♪あの芽。
鼻は「花」、耳は「実」。実が2つ付いているから「みみ」。
歯は「葉」。
人間と植物は関係性として互いに切り離せない存在だという事は昔聞いた事がありました。
人間は酸素を吸って二酸化炭素を出し、植物は二酸化炭素を吸収して酸素を出す。

ミ:呼吸ですね。

オ:そうです。
その話を覚えていたので、五感覚の名前が植物のパーツと一致すると知った時は「え~!?」と驚いた。
じゃ、根っこは人間の五感覚でいうと何処にあたるんだろう?と疑問が湧いてきたので調べてみました。
最初は男女の生殖器かな?と思ったんです。
でもちゃんと別々の名前が大和言葉にはありました。
古事記に「根の国」というのが出てくるのを思い出して、「根」は具体的なパーツではなく、もっとメンタル的な意味合いがあるのかな?と思いました。

さく

オ:季節は春に向かって行くのですが、その「はる」も「根が張る」の「はる」から来ています。

ミ:へー!そうなんですね。まさに根が張る「春」ですもんね。

オ:ミツキさんがお好きなお酒。
あの「サケ」という言葉も植物とか季節とか、そのあたりが由来じゃなかったですっけ?

ミ:そうなんです。
「酒(さけ)」は「咲く(さく)」が由来の言葉です。
表している物は別だけど、大元を辿ると同じ。
「咲く」は花が咲いて華やかな状態。お酒も華やかな場で、幸せを感じる場所ですよね。

オ:「話しに花が咲く」とかって言いますもんね。

ミ:この話の続きで「そうなんだ!」と思ったのが「幸い」。
幸福感、しあわせの「幸い」。
これは「さきわひ」が古語らしいのです。
神社の祝詞に「祓い給い 清め給え 幸へ給え」という言葉があるんですけど、
「さきわへたまえ」ってどういうことかな?疑問に思いながらずっと唱えていました。
「あ、なるほど!幸せ!幸福感を感じようね、という意味だったのか」と。

オ:日本語は母音が変化し新しい言葉を生み出していく。
出発は「さく(咲く)」。
「さき(岬の「さき」)→「さけ(酒)」→「さか(坂)」もそうなのかしら?
これらの言葉に先ほどミツキさんが仰ったように共通点があり、物体としたら見たら別々の物なのだけど、
働きを見るとどれも「ピーク」「トップ」の状態を現わしている。
岬=尖端=ピーク・トップ
咲く=主役=トップ

ミ:咲き溢れている「ピークの状態」ですよね。

オ:お酒も高揚しているピークの状態でしょうか。
「働き分類」で見ると共通点が見える、日本語って面白いですよね。

ミ:深いというか豊かというか。
こんなに広い世界を捉えているのだと思うと、日本語を大切に使わなければと思います。
あと、日本人はもっと知っておいた方が良いのでは?と思いました。

きく

オ:「お酒」というところから行くと「きく」という言葉も結構重要に思えます。
音を「聞く」、薬が「効く」、「利き」酒。みんな同じ言葉で同じ音。
漢字は違うけど共通性を見た時に、利き酒ができる人は人の話しを聞くのも上手な気がするんです。
そんな気がしませんか?

ミ:そうかもですね。利き酒はお酒の声を聞く。
注意力とか傾聴力に繋がっていたりするかもしれませんね。

オ:耳から聞くより「耳を澄ます」の方が近い感じがします。

ミ:門構えの中に耳が入っている方の聞くではなくて、耳偏が外にある方の「聴く」ですよね。
耳と目と心と体で聞くという意味らしいので、それと利き酒師の「きく」、確かに共通項がありそうですよね。

オ:香りも「きく」って言いませんっけ?香りを「嗅ぐ」んじゃなくって。
昔新聞でそんな記事を見かけて「え~これも「聞く」なんだ」と思った時に、聞くってすごいんだな、と思ったことがありました。

ミ:こんなにも色んな所に派生したり膨らんだりする言葉って、世界探してもあまりないんじゃなかろうか?
他の言語を詳しくは知りませんが、誇りに思います。

オ:ね!日本語すごいですね。
あと私が抽象画をやっている観点からすると、西洋に聖書ってありますでしょ。
それを神話の分類に入れて良いものかちょっとわかりませんが、神と接触した人たちがいるわけです。
彼らは「私は神を見た」とは言っていない。
「神の声を聞いた」と言っています。
もし「見た」と言っていたら「え?その神様は男性?女性?髪の色は何色?瞳の色は何色だった?」という具体に行ってしまう。
だけど「聞いた」という事だから、西洋は抽象の方に針を振り切った感じがするんです。
神という抽象概念の土壌が数学や哲学を育んだのかな?と思ったりしました。
もちろん目も大事なんですけどね。目から入ってくる模様とか色とか形とか。
でも個人的には耳の方が重要な気がします。

ミ:5感の中でも「耳」は重要だと最近聞きました。
目からの情報も大切なのだけど、実は耳からの情報の方が人は影響を受けているんだよ、というお話しを聞いたことがあります。

オ:大切にしたいですね、耳。人の話を聞く、お酒の声を効く。
ミツキさんが日本酒お好きな理由少しわかったような気がしました。
一人でチビチビ吞むよりも人と一緒に居る、そんなミツキさんの姿が想像されました。

ミ:ありがとうございます。楽しく呑んでおります。

オ:もうすぐ春になったら桜の元で花見酒をしたいですけどね。

ミ:今年はできそうですかね。

むすぶ

オ:春も好きなのですけど、私は秋の方がもっと好きです。実を結ぶ秋。収穫の秋。
「結ぶ」という言葉も日本人の心を表している気がしませんか?

ミ:します。縁を「結ぶ」もそうだし、風呂敷を「結ぶ」とかリボンを「結ぶ」。
様々な場面で結ぶがありますよね。

オ:日本の文化の中にありますよね。

ミ:「生まれる」と関係しているんでしたっけ?

オ:「むす」が確かそうだったかな?「苔がむす」とか。
「むす」に「こ」が付いて「息子」。「め」が付いて「娘」。

ミ:贈り物を結ぶ結び目は、昔「鬼の目」と言ったそうで、鬼ほどに強い結び目が生まれて相手を祝福すると考えた名残らしいんです。
それくらい強い思いで永遠への祈りを込めた特別な価値を持つ行為が「結ぶ」だった。
人と人とが繋がる、または命が生まれて次につながっていく。
昔の日本人はいろんなものを「結ぶ」という言葉に託したようです。

オ:私の中では結び目って、よく話をする2本の線が交わった真ん中にできる点のイメージなのです。
あともう一つ、先ほど出てきた「ピーク」「トップ」というイメージを「結び」の中に見ています。
「ピーク」というのは、始め上に向かっていた矢印が下向きに変わる一瞬。
その無重力の状態といいますか。
上向きの矢印と下向きの矢印、正反対のベクトルが寸分も違わず出会った瞬間。
そんなイメージです。
一瞬の出会いを経てすぐに離れていってしまう。ドラマのような運命。
そのようなイメージが私の「点」のイメージであり、「結び目」のイメージです。

ミ:いいですね。きっとそれぞれのイメージでいいんでしょうね。

オ:言葉によって「点」のイメージがここまで広がる日本語ってすごいな、と改めて思います。

Give up

オ:あともう一つ季節の秋!春は「根が張る」の「はる」。
では「あき」は?
これも面白いんですよ。
意味を聞いちゃうと「え~?」ってなるかもしれないけど「食べ飽きる」の「あき」が由来なんです。

ミ:え?そこが由来なんですか?

オ:意外ですよね?
その言葉だけ聞いちゃうと「え~?」と思うんだけど、同音異義語を並べていくんですよ。「あき」から始まる言葉。
「明らかにする」「諦める」全く違う心の作用に思えるのだけど、全部仲間なんです。

ミ:へ~!?

オ:え~?諦めるがなぜ?って思いますよね?
諦めるって、ネガティブなイメージが出てきちゃいます。降参するというイメージ。
だけど「明らかにする」と仲間だと考えると、本来の「諦める」は「人事を尽くして天命を待つ」というイメージらしいんです。

ミ:そうか。ネガティブな「諦める」というより、「執着しない」「手放す」という。

オ:そうです!
画家たちが筆を置く瞬間と何となく似ているんです。
諦めるを英語にすると「Give up」。
ギブをアップするという事なのですけど、油絵はいつまでも塗り続ける事ができてしまう。上に塗り重ねる事ができる。
自分でどこかでピリオドを打たなければいけない。
それをしなければずーっと続いてしまう。最早作品が手放せないという状態に陥る。
どこかでアップして、作品をリリースするっていうことをしなければならない。
その「筆の置き時」って難しいんですよね。きっと。
私は画家ではないので本当の気持ちは分からないですけど。
線の無いところに「ここまで」って線を引くという事なのでね。
その心境が「諦める」という事なのかな、と思いました。
多分画家だけが感じる難しさじゃないと思うのですけど。

ミ:いろんな面で言えますよね。ビジネスもそうだし。

オ:親の心もそうなのかなって。
子どもにギブし続け、与えて与えて与えて…それが続くと執着ですよね。手放せない。
漢字は本来外国から入ってきたもので、もともと音だけがあった。
そこに漢字を当て嵌め「明らかにする」「諦める」これらの言葉は「違うもの」と思ってしまうのだけど、共通点を取るとイメージが途端に広がるんですよね。

ミ:日本語ってそもそも音だったんだ、という事が私の中ではロマンです。
日本語の響きは本当に綺麗だから。大切にしたいですね。
面白い。尽きないですね、この話し。

オ:本当。尽きないんですけど、そろそろ閉店の時間が来ているのじゃないかな、と思うので。。。
また次回続きをしましょうか?

ミ:ぜひお願いします。

 

ギャラリー沼の底 Océane

ギャラリー沼の底 Océane

ハラオチしながら世界をみる

1974年東京生まれ
ギャラリーアビアント アシスタント
家事代行piu-c(ピウシー)代表

祖父、伯父、父が舞台美術家であるが、自身は元バスケットボール選手。
物の見方と認識が専門。

選手引退後小学校教師を目指すが、情報量の多さと教育界の厳しい現実を知り断念。
情報を外側に求めると「知らない領域」が無限に広がってしまう事に気がつき、既に知っている情報をより深化させる道を模索するようになる。
長らくメンタルの引きこもり状態が続いたが、日本に住む2人の外国人との出会いと、コロナ禍による交流の断絶が契機となり、抽象的かつ感覚的なイメージを少しずつ言語化し発信するようになる。
情報分断の原因でありイメージ界最大の不一致でもある「有るイメージ」と「無いイメージ」を繋ぎ、イメージ世界のバリアフリーを目指している。

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