026 みたまのふゆ

古くて新しい言葉「恩頼」

生命のサイクル

オ)前回に引き続きやまと言葉のお話しをしたいと思います。
ミツキさんは古代の日本人のメンタリティー:世界観について、どう感じられましたか?

ミ)繊細というか、感性が豊かというか。
とても大切な事が言葉や音の響きに隠されているように思いました。
ロマンを感じます。

オ)古代の日本人は輪廻転生を信じていたんだな、という事が端々からみえました。
信じるというよりも<サイクル>として当たり前のようにそこにあるような。
植物のサイクルに自分たちを対比させていたというか。

【植物のサイクル:根→茎→葉→花→実→種→(土に落ちる)→根→茎→葉・・・】

そのサイクルに古代の日本人たちは己を投影させていた、そのような世界観が見えてきました。

オ)あと「け」も今より濃厚に、身近に感じていたのだろうな、と。

ミ)モノノケの「ケ」ですか。

オ)そうです!体毛ですね。体を覆っている毛(ケ)。
上の方にあるから「かみのケ」。
何となくそこに漂っているというのがイメージらしいのですけどね。
「物の怪」「化粧」のケ。「気配」とか。「仏」のケ。

ミ)見えない世界に真実ってあったりするじゃないですか。
そのような見えない世界を当たり前に大切にしていたのですかね。

オ)今風に言うと「空気」が「ケ」にあたるのかな?
最近は良い意味合いで使われない言葉ですけど。
「空気を読むなら文章を読め!」みたいな。

われても末に逢はむとぞ思ふ

オ)私は元々百人一首が好きで、その中に好きな句がいくつかあります。

「背をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
崇徳院<三大怨霊の一人>

この歌の特に下の句に、とても共鳴する私がいます。

「われても末に 逢はむとぞ思ふ」
現代語訳:2つに分かれたとしても、いつかきっと再会しようと思っている(思い続ける)

「逢はむとぞ思ふ」の最後の「ふ」はリピートの意味。
「呪う(のろふ)」「祝う(いわふ)」これらの最後の「ふ」も、繰り返し。
崇徳院の「思い続ける」執念が、怨霊に繋がっていくのかもしれません。

魂の振るえ

オ)ところで「みたまのふゆ」という言葉はご存知ですか?
祝詞(のりと)に出てくる古い言葉なんですね。
神前の結婚式とかで出てくるのかな?
音だけ聞くとどのようなイメージが浮かびますか?

ミ)「魂の冬」という季節のイメージ。
「今生お疲れ様でした」みたいなイメージ。
命を終えて冬眠するイメージ。
来世までの間、時間をゆっくり過ごしてくださいね、みたいなイメージ。

オ)「冬」から冬眠のイメージに行くんですね。
そのイメージの方向は意外と合っています。
「みたま」は魂に美称の「み」を付けたもの。
冬は、寒くて震えるじゃないですか。
元は「振るえる」とか「揺れる」という意味の「ふゆ」という言葉が、そのまま季節の名前になったようです。

ミ)面白いですね!確かに冬は震えますもんね。

オ)だから「みたまのふゆ」は【魂が振るえる】という状態を表す言葉です。

オ)問題はこの言葉に当てられた漢字です。
漢字だけを見たら、とてもそうとは読めない。
【恩頼】と書いて「みたまのふゆ」と読ませる。
音の方が先にあったので漢字は後から当てられたはずなのですが、なぜその漢字を当てたのでしょう?
ミツキさんだったら「恩」という言葉から、どんなイメージが浮かびますか?

ミ)御恩とか。強い気持ちでしょうか。

オ)ポジティブなイメージですか?

ミ)両方合わさっている感じですね。
でもどちらかというと「感謝」という気持ちの方が強いかな。

オ)学生時代に読んだ本『菊と刀』/ルース・ベネディクト女史(米国人)の中に「恩」が出てきます。
本の中では、日本人のメンタリティーの根底に「恩―おん―」があると論じています。
そのイメージは「負担」「債務」「重荷」「負い目」です。

ミ)ちょっとネガティブで重いイメージですね。

オ)でも、何となく共感できませんか?
現代の日本人は<恩=負い目、負債>というイメージを持っている。
しかし古代の言葉<恩頼―みたまのふゆ―>に「恩」の字が入っているという事は、昔は<魂の震え>とイメージしていた。
日本の歴史のどこかでイメージが変わってしまった可能性があります。

武士の7つの徳目

オ)古代人が思っていた恩のイメージは、すっかり無くなってしまったのでしょうか?
古代から中世に入り、武士:サムライが出てきます。
武士が重んじた7つの価値:義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義
その0番目に「恩:魂の震え」が有ったんじゃないかな?と思いました。

ミ)オセアンさん流の解釈ですね。面白いです。繋がっている感じがします。

オ)我流の解釈で恐縮なのですが‥。
恩=魂の震えは、武士の世界で生きていたのではないかな?と私は想像しています。
明治時代に入り武士がいなくなり、イメージが変わってしまいましたが、全く違う方面から「それは“恩頼“みたまのふゆ」の事を言っているのではないのかな?という話しが最近耳に入ってくるようになりました。

ほどける=仏

オ)先ほどの崇徳院の歌に出てきた「われても末に 逢はむとぞ思ふ」
~2つに分かれたとしても、いつかきっと再会しよう~

怨霊になってまで願ったその願いが、もしも叶ったら?
ミツキさんだったらどのような気持ち・感情が沸き上がりますか?

ミ)叶ったら嬉しいですね。

オ)叶った瞬間に、ほどけるようなイメージがしませんか?

ミ)そうですね!それはあります。

オ)その再会の喜びが「魂の震え」です。
魂とは、願いが叶った結び目の事。
そして2本の線が交わってできる点のイメージでもあります。
つまり結び目:点は、振動している、という事です。
ただ点がそこに有るのではなく。
そこには出会えた喜び、再会できた喜びの振動がある。

ミ)なるほど…。

オ)これは目で見たら見えません。心で見るしかない。
非常に古いイメージだけど、これから新しいイメージになっていく予感がします。

ギャラリー沼の底 Océane

ギャラリー沼の底 Océane

ハラオチしながら世界をみる

1974年東京生まれ
ギャラリーアビアント アシスタント
家事代行piu-c(ピウシー)代表

祖父、伯父、父が舞台美術家であるが、自身は元バスケットボール選手。
物の見方と認識が専門。

選手引退後小学校教師を目指すが、情報量の多さと教育界の厳しい現実を知り断念。
情報を外側に求めると「知らない領域」が無限に広がってしまう事に気がつき、既に知っている情報をより深化させる道を模索するようになる。
長らくメンタルの引きこもり状態が続いたが、日本に住む2人の外国人との出会いと、コロナ禍による交流の断絶が契機となり、抽象的かつ感覚的なイメージを少しずつ言語化し発信するようになる。
情報分断の原因でありイメージ界最大の不一致でもある「有るイメージ」と「無いイメージ」を繋ぎ、イメージ世界のバリアフリーを目指している。

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